つい先日、あるブログで見つけたお墓があまりにもよかったので紹介します。
これは見て損はないです。
ネタとかではなく、良いお墓です。
ぼくはあまり宗教観も強くなく、お墓には無頓着で、実際、遺骨は海にまいてとか、土に埋めてとか、死んだ後のことなどどうでもいいと思っていました。
最近はこういう人が多いんではないでしょうか。そろそろ「若者のお墓離れ」というキーワードが出てきそうな、いや「年寄りのお墓離れ」かw
生き方も多様になってきている昨今、死後(埋葬)も多様になっていくのでしょう。
そんな中、1つこれは知っておいた方がいいお墓を見つけました、本来のお墓はこういうものだったのかも、と感動しました。
こんなお墓なら入ってみたいというお墓です。
そのお墓がこちら。
後ろの四角いのではなく、この手前の石ころです。
出典
詳しくはリンクから飛んで、写真家の幡野さんのブログに書いてあるので、ぜひ読んでみてください。透き通るようなブログで、すごく好きです。
このブログにある通り、このお墓を作ったのは幡野さんの叔父さんです。その叔父さんの家族のお墓。しかも叔父さんは石材職人だったそうで、まさか石の職人がなぜこんなお墓を作ったのか?それは幡野さん自身も叔父さんに聞きそびれてしまったそう。
憶測ではありますが幡野さんの考えを引用させてもらいます。
叔父が亡くなった家族に似た石を近所の川原で探して拾ってきたものを置いています。左の小さい二つは産まれてすぐに亡くなってしまった双子の墓石。真ん中二つが両親の墓石。右が若くして病気で亡くなった妹さんの墓石。石材店が受注する仕事は職人として客が満足できるものを作り、自分の親兄弟の墓石は作品として制作する。叔父の既存の墓石に対するアンチなのか、これが叔父がたどり着いた墓石の答えなのか。僕はこの墓石に叔父のメッセージを感じずにはいられない。本当にすごいと思う、立派な作品だ。この墓を前にすると僕は興奮する。
亡くなった家族に似た石を拾ってきて、墓石にする。幡野さんの言葉を借りるなら「本当にすごいと思う」。
このお墓を見てぼくはこう思いました。
お墓は自分のためにあるのではなく、残った人のためにある
それは叔父さんの作品であるとともに、その人に似た石で故人を思い出す場所であったのだろうと思います。
たまには死のことも考えたり。
誰かぼくに似た石を見つけてくれる人はいるかな?
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