昨日、こんなつぶやきをしました。
昨日会った女の子は、県外に出たいけど両親が反対するので出ていけないと。おいおいマジか?ってなったよ。親に対しても、その子に対しても。
— バーニー|苦節5秒 (@BARNIEdesign) April 29, 2018
日本なんか、世界地図で指差したら、全部指の下に隠れるくらい小さいのに。
むしろ、日本の中の移動は大したことじゃない。
けどこれも1回も県外に出たことない人にはとてつもなく高いハードルなんだろう。
それを考えると親の影響は絶大。— バーニー|苦節5秒 (@BARNIEdesign) April 29, 2018
ぼくの両親は、「子供がどこにいて何をしてても、親は子供のことが心配やねん。せやから、どこにいて何をしてもええ。」と言ってくれた。これはありがたかったなと思う。
— バーニー|苦節5秒 (@BARNIEdesign) April 29, 2018
この女の子と話しているとき、ぼくは若干引き気味でした。素直に感じたことを書くとこんな感じです。
『このご時世にまだそんなこと言う大人(親)がいるのか、信じられない』
『子供の人生を本気で考えれていない』
『無知で視野が狭い親ほど、子供の成長に障害になるものはない』
ほんと、親の子供に対する影響力を改めて感じました。
その子と話していると、県外に住んでみたいという想いがあって、親にも相談するのですが、親は無視同然のようです。
ぼくからしたら、親の反対で県外に出れない人とか、勝手に絶滅させていたので、発見した驚きがすごかったです。
けど、思い返すとこういう親からの反対を意識して動けない人って相当数いるなと思い返しました。
家族というコミュニティは、私は一つの宗教の様に考えてます。自分より長生きで経験値も豊富だから、親の通りにすれば正解なんだろう、みたいな。でも本当は親だって不完全だし親≠私ということに気付いた後、自分で動いて、そこで得たものを信じていきたいなって、言い聞かせてます。
— すう@Webデザイナーになる (@sn_____b) April 29, 2018
私は昔から親の機嫌とかすごく気になったし、親によく思われる様にいなければ、というのがとても強くて、親が全てではないと思って動けてきてるのが、恥ずかしながらつい最近です。でも本当に、人によっては親って絶対的なんですよね…呪縛レベルです。
— すう@Webデザイナーになる (@sn_____b) April 29, 2018
このすうさんの返事を読んで、心がキュッてなりました。
親って選べませんもんね。小学校時代、学校が世界の全てだと感じるように、それよりも強く、両親(家族)こそが世界の全てと自然に感じて子供は育っていくでしょう。
けど、実際の世界は多様で、親の意見ばかりでは割り切れない自分の想いも多々あります。
その狭間で、苦しんでいる人は多いはず。
ぼくの友達も、最近(20代後半)になるまで親が選んだ服を着ていたと話してくれました。
ぼくが、なぜかと聞くと、自分で選んだ服を親に見せると「否定される」、それが非常に辛かった、と。
そのときは、そんな家庭もあるんだと大きくは受け止めていませんでしたが、本人にとっては重くのしかかってたことでしょう。一緒に服を買いに行ったときの笑顔を思い出します。
まさにすうさんが言ったように、家族というのは宗教のようなものだと思います。そこで子供は道徳心や価値観や判断能力を育むからです。
少し、ぼくなりの宗教観を書いておきます。
フィリピン(キリスト教が多い)に行ったときに、日本人はほとんど無宗教に近いということを現地の人に話したときに言われたのが、
じゃあ、物事をやるときにどう判断してるんだい?
神様が見てるから悪いことはできないと思わないのかい?
このようなことを言われました。
宗教というのは、いわゆる宗教法人の教えだけではなく、海外では道徳観や価値観といった意味合いも持ちます。すなわち、日本人は自然と宗教観(道徳観)を持ち合わせていると言えます。
で、改めてぼくの宗教は何かと考えました。そのとき単純に思ったのが自分の経験です。
自分の道徳観や価値観は、当然、自分の経験から生まれたものです。そこから考えるに、今ある宗教(キリスト教や仏教など)は、その経験から生まれる道徳観や価値観のようなものをパッケージしたものだと思っています。
つまり、こういうときに、こういう指針で、こう判断すれば、人生よくなりますよ。救われますよ。世のため人のために生きれば天国(極楽)に行けますよ。という素晴らしい人生を歩むための経験則をパッケージングしているのです。
なので、ぼくの考えでは、その人生の道徳観や価値観に影響する、家族や学校や会社も宗教だなと思っています。
よく、熱をもったコミュニティを見ると、「宗教みたいだ」「信者ビジネスだ」だと言う人がいますが、間違ってはいないと思います。ただ、それを悪意を込めて、偏見のように発言するのはどうかと思いますが。
だって、キリスト教も仏教もビジネスと言われればビジネスで、家族や学校や会社のようなコミュニティも宗教と言えば宗教です。
誰でも信仰(価値観や道徳観)している、コミュニティや経験がありますよね、それがあなたの宗教だと思います。
と、つい、ぼくの宗教論を書いてしまいましたが、先ほどの女の子の話に戻ります。
県外に行くことを親から反対されたからといって、その親を振り払ってでも行く勇気があるかというと、ないのです。
確かに、その子の立場で考えると、住んだこともない県外に1人で住むっていうのは非常にハードルが高いのでしょう。
ぼくの場合、1人で海外に住んだことがないのでその感覚に近いかな?
これを考えたときに胸が締め付けれる想いでした。
自分のやりたいことを親が反対すると、これほどまでにブレーキは強いものかと。
そりゃあ、何もわからない幼いときから一緒にいる親(家族)の影響は大きいはずです。他のどの宗教(コミュニティ)に比べてもその影響力は絶大にでしょう。
同じように今も親との関係に悩んでいる人が多いと思います。
しかし、自分らしく生きるために、ときには、合わない宗教(コミュニティ)は信仰しない、という選択肢も必要になってくるかもしれません。距離感を見直すのもいいかもしれません。
逆に考えると、
- 子供がやりたいことをやらせてあげる
- やる勇気を与えてあげる
- 背中を押してあげる
こういった親ならどれだけ子供の可能性を広げ、価値観を育て、自信を身につけることになるでしょうか。
とりとめのない感じになりましたが、こんな風に、子供もいないのに理想の親像を妄想するのでした。
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